『やってみないかい?』――戸籍実務未経験の私が全国組織の事務局を任された話

「やってみないかい?」

隣にいた係長が、笑いながら私に言いました。

何の話かは、すぐに分かりました。

全国の戸籍・住民票関係の担当部署をつなぐ組織。

「全国連合戸籍住民基本台帳事務協議会」(当時は「全国連合戸籍事務協議会」)

その事務局の仕事です。

当時、私の区が2年間、事務局を担当することになっていました。

ところが、1年目を担当していた職員がかなり苦労していました。

残業をしても仕事が終わらない。

WordやExcelを使って資料を作る仕事も多く、私はときどき横から手伝っていました。

選挙管理委員会にいた頃、私はマニュアルや指示書をずいぶん作っていました。

ですから、

「ここをこう直せばいいんじゃない?」

と手伝うことはできました。

それでも、横で見ながら、

「これは大変だな」

と思っていました。

その仕事が、今度は私のところへ回ってきたのです。

「こっちに来たか」

というのが、正直な気持ちでした。

私は戸籍の実務をやったことがなかった

最初は、引き受けることをためらいました。

理由は単純です。

私は戸籍の実務をやったことがありませんでした。

当時、私は戸籍部門に席を置いていましたが、担当していたのは「日曜開庁」です。

区役所を日曜日に開ける――私が「日曜開庁」を立ち上げたときの話
区役所は平日に行くところ。かつては、それが当たり前でした。しかし、平日に仕事をしている人にとって、区役所へ行くために仕事…

それ以前は選挙管理委員会にいました。

全国組織に集まってくる人たちは、戸籍や住民基本台帳の実務を実際に担当している人たちです。

そこへ、戸籍実務を経験していない私が事務局として入る。

「私でいいのかな」

という思いはありました。

しかも、日曜開庁は始まったばかりでした。

実際に日曜日に区役所を開けてみると、事前には分からなかった問題が次々と出てきます。

それを一つずつ解決していかなければなりません。

その仕事を続けながら、全国組織の事務局もやることになったのです。

係長から打診され、課長から正式に頼まれた

最初に声をかけてきた係長は、保育課時代の私の上司でした。

その頃には私も係長になっていたので、以前の上司と部下ではなく、同じ係長という立場になっていました。

そんな関係ですから、

「やってみないかい?」

という話も、ずいぶんフランクでした。

その後、課長から正式に、

「よろしくね」

と言われました。

その課長も、私が新人職員だった頃から知っている先輩職員でした。

にんまり笑いながら言われたことを覚えています。

そこまで言われれば、

「分かりました」

と答えるしかありません。

こうして私は、戸籍実務の経験がないまま、全国組織の事務局を担当することになりました。

それまでの仕事が意外なところで役に立った

実際に始めてみると、大変ではありました。

ただ、思っていたよりは仕事を進めることができました。

理由の一つは、選挙管理委員会での経験だったと思います。

選挙の仕事では、多くの職員を動かさなければなりません。

関係部署との調整もあります。

マニュアルや指示書も作ります。

決められた日に向けて、たくさんの仕事を組み立てていく必要があります。

戸籍の知識では、周囲の人たちにかないません。

しかし、

人をまとめる。

日程を調整する。

資料を作る。

関係機関と連絡を取る。

そうした事務局の仕事なら、それまでの経験を生かすことができました。

公務員の人事異動というのは不思議なものです。

そのときには、

「なぜこんな仕事をやるんだろう」

と思った経験が、何年も後になって別の仕事で役に立つことがあります。

千代田区、江東区、東京法務局とのやり取り

当時の全国組織では、会長を担当する区は千代田区でした。

東京の地方組織では江東区が中心となり、東京法務局とも密接に連絡を取りました。

電話だけでなく、実際に行き来することもありました。

さらに戸籍は法務省、住民基本台帳は総務省が関係します。

全国の各地域から、

「この事務はどう考えればいいのか」

「ここに問題があるのではないか」

といった「協議問題」が上がってきます。

それを整理して、国の担当者へ投げかける。

そして国から回答やコメントをもらう。

事務局には、それをまとめる仕事もありました。

それまで一つの区役所の中で仕事をしていた私にとって、仕事の世界が一気に広がりました。

全国から人が集まる総会

大きな仕事の一つが総会でした。

当時は共立講堂で開催していました。

全国から戸籍や住民基本台帳に携わる人たちが東京へ集まってきます。

事務局側は大忙しです。

受付。

会場設営。

案内。

関係者との打ち合わせ。

特別区の職員も集まり、総会を動かします。

総会の2日目には、皇居を見学する日程もありました。

大勢の参加者を案内するため、予約を取るのも一仕事でした。

全国組織の事務局といっても、机に座って資料を作っているだけではありません。

こうした大きな行事を実際に動かすことも仕事でした。

全国組織の仕事で京都や仙台へ

会議は東京だけではありませんでした。

地方でも持ち回りで開かれました。

私が担当していたときには、京都での会議がありました。

そこで思いがけない経験もしました。

ちょうど葵祭の時期だったのです。

地元の役所の方が席を用意してくださり、葵祭を見ることができました。

翌年の会議は仙台でした。

その事前打ち合わせで仙台へ行き、牛タン弁当を食べたことも覚えています。

もちろん仕事です。

でも、普段の区役所勤務だけでは行くことのなかった場所へ行き、全国の自治体職員と知り合う。

それは素直に面白い経験でした。

会長区の千代田区の係長は、とても人懐っこい人で、お酒が好きでした。

打ち合わせが終われば、一緒に飲みに行くこともありました。

仕事を通じて人とのつながりが広がっていく。

それも、この仕事の楽しさだったと思います。

「大変ね」と言いながら応援してくれた人たち

事務局を担当することになったとき、一般の職員は、

「ああ、そうなのね」

という感じだったと思います。

しかし、同じ部署の係長たちは少し違いました。

「大変ね」

と言いながら、応援してくれました。

その前に私が日曜開庁の立ち上げで苦労している姿を見ていたからでしょう。

新しい仕事を始めれば、必ずしも全員が協力してくれるわけではありません。

職員から反発を受けることもありました。

他部署の管理職を説得しなければならないこともありました。

そういう姿を見ていた人たちが、今度は全国組織の仕事を引き受けた私を応援してくれた。

今振り返ると、それはありがたいことでした。

一生懸命仕事をしていると、見ている人は見ている。

そんなことも、この頃に感じました。

戸籍を知らなかった私が、全国の事務局を終えて

最初に話を持ちかけられたとき、私は戸籍の実務経験がないことを気にしました。

しかし、終わってみれば、

「やってよかった」

と思える仕事の一つになりました。

戸籍や住民基本台帳の専門知識だけではありません。

調整する力。

資料を作る力。

人をまとめる力。

それまで別の部署で身につけてきたものが、意外なところで役に立ちました。

そして何より、一つの区役所だけでは見えなかった世界を見ることができました。

全国の自治体。

東京法務局。

法務省や総務省。

さまざまな人たちと仕事をすることになりました。

43年間の公務員生活では、本当にいろいろな部署を経験しました。

その中でも、戸籍の実務をやったことのない私が全国組織の事務局を担当したこの一年は、少し変わった経験だったと思います。

あの日、係長から笑いながら、

「やってみないかい?」

と言われたとき。

私は「こっちに来たか」と思いました。

でも今なら、

「声をかけてもらって、よかった」

そう思っています。

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