
私は公務員試験を受けたとき、第一志望を川崎市役所にしていました。
ところが、最終的に私が就職したのは川崎市ではありません。
東京都の特別区でした。
しかも、川崎市には合格していました。
第一志望に合格したのに、私は自分から辞退届を出したのです。
なぜ、そんな選択をしたのか。
今振り返ってみると、当時の行政改革という時代背景もありました。
一方で、私自身が若かったことも大きかったと思います。
今回は、私が公務員になったときの、少し遠回りをした進路選択について書いてみます。
本当は国家公務員になりたかった
もともと私は、国家公務員になりたいと思っていました。
公務員の中でも、できるだけ権限の広いところで仕事をしたいという気持ちがあったからです。
ただ、私には一つ事情がありました。
母が病弱だったのです。
そのため、就職してあまり遠くへ行くことは考えられませんでした。
そこで、東京や神奈川周辺の自治体を考えるようになりました。
候補にしたのが東京都庁、横浜市、川崎市などです。
横浜市と川崎市は政令指定都市です。
自治体として大きく、仕事の幅も広い。
当時の私には魅力的に見えました。
東京都庁も考えました。
ただ、当時、学生の間では、
「都庁は学閥が強いらしい」
という話も聞いていました。
実際にそうだったのかは、私には分かりません。
しかし、まだ学生だった私は、そんな話にも影響されました。
そして、住んでいたところから近かったこともあって、川崎市を第一志望にしました。
公務員試験は5つ受け、すべて合格した
私は民間企業への就職をほとんど考えていませんでした。
公務員になるつもりで勉強していました。
実際に受験したのは、
川崎市上級、国家公務員中級、東京都中級、特別区中級、裁判所事務官中級。
幸い、この5つにはすべて合格しました。
ほかにも千葉県内の市役所などを受ける準備をしていた記憶があります。

ただ、私の中で第一志望は変わりませんでした。
川崎市役所です。
そのため、ほかの試験に合格しても、川崎市へ行くつもりでいました。
東京都にも合格しましたが、辞退しました。
すると人事担当から、
「本当にいいんですか?」
という確認の電話までかかってきました。
かなり倍率が高い試験だったようです。
それでも私は断りました。
川崎市へ行くつもりだったからです。
第一志望なのに「採用」が決まらなかった
ところが、ここから予定が狂い始めました。
当時は、自治体で行政改革が進められていた時代です。
川崎市も例外ではありませんでした。
私は試験には合格していました。
しかし、合格したからといって、すぐに採用が決まったわけではありません。
当時の川崎市では、退職などによって空きが出たところに応じて採用していく形になっていました。
待っていても、なかなか採用の連絡が来ません。
4月から採用されるのは難しいのではないか。
そんな状況になってきました。
すでにほかの合格先を断っているところもあります。
私も次第に、
「このまま川崎市を待っていていいのだろうか」
と思うようになりました。
そこで、同じく合格していた特別区へ行くことを決めました。
3月になって川崎市から連絡が来た
特別区へ就職するつもりで、さまざまな手続きを進めました。
もう気持ちも特別区へ向かっていました。
ところが、3月の中旬か下旬だったと思います。
川崎市から連絡が来ました。
「採用します」
第一志望だった川崎市から、ようやく採用の話が来たのです。
本来なら、
「待っていました」
となるところでしょう。
しかし、そのときの私は違いました。
すでに特別区へ行くための手続きを進めています。
そして何より、若かった私は、
「自分を必要としてくれているところへ行きたい」
と思ってしまったのです。
結局、私は第一志望だった川崎市に辞退届を出しました。
そして、特別区職員になりました。
川崎市は上級、特別区は中級だった
今振り返ると、もう少し慎重に考えてもよかったと思います。
というのも、川崎市は上級職での合格でした。
一方、私が選んだ特別区は中級職です。
当時は上級と中級では、その後の扱いにも違いがありました。
給与面でも違いがありましたし、上級職は将来の幹部候補として見られる面もありました。
もちろん、当時の私は、
「上級だから川崎市へ行こう」
とは考えませんでした。
そんなことより、
「自分を必要としているところで働きたい」
という気持ちの方が強かったのです。
若かったのだと思います。
しかし43年間働き終えた今なら、若い人には、
「採用区分やその後のキャリアまで含めて、少し冷静に比較した方がいい」
と言うと思います。
特別区に入ってから、もう一度迷った
実は、この話には続きがあります。
特別区職員になったあとも、私は、
「もっと権限の広いところで働いてみたい」
という気持ちを完全には捨てていませんでした。
若かった私は、やはり大きな組織や権限の広い仕事に憧れていたのだと思います。
そこで今度は、東京都の上級職を受け直そうかと考えました。
特別区には、内部で上級相当の資格を認定する能力認定という制度もありました。
しかし私は、それを受けずに東京都を受け直すことも考えていました。
そんなとき、私の進路を変える一人の人と出会いました。
図書館で出会った女性係長
私は、新しく開館する図書館の設立準備をする担当に配属されました。
そこの係長が女性でした。
とても優秀な人でした。
単に役所の仕事をこなすだけではありません。
図書館についても外部の団体に参加し、自分で研究し、活動していました。
そして、明るい人でした。
私自身、
「真面目で明るく」
ということを大切にしていました。
その係長は、まさにそれに合うような人でした。
私は思いました。
「こういう公務員の生き方もあるのか」
そして、
「この人の下でもう少し仕事をして、学んでみたい」
と思うようになりました。
東京都を受け直すのをやめました。
その代わりに、特別区内部の能力認定を受けました。
そして合格しました。
中級職として採用された私も、上級相当として認定されることになりました。
43年後に思う「第一志望を蹴った」ということ
第一志望だった川崎市へ行っていたら、私の人生はどうなっていたでしょう。
もちろん、今となっては分かりません。
川崎市は政令指定都市です。
当時、神奈川県庁に勤めていた友人から、県内の自治体が集まる会議では横浜市や川崎市の存在感が大きかったという話も聞きました。
若かった私が川崎市に魅力を感じた理由は、間違ってはいなかったと思います。
しかも私は上級職として合格していました。
だから、
「あのとき川崎市へ行っていたら」
と思わないわけではありません。
第一志望を辞退した判断についても、今の私なら、もう少し慎重に考えます。
ただ、特別区へ行ったからこそ、図書館であの係長にも出会いました。
その後、図書館、情報処理、選挙、住民サービス、福祉など、さまざまな仕事を経験することにもなりました。
そして結局、43年間働きました。
人生の選択というのは、その瞬間には正解だったのか分からないものなのかもしれません。
私は第一志望だった川崎市を辞退しました。
理由の一つは、若かった私が、
「自分を必要としてくれているところへ行きたい」
と思ったからです。
今なら、もう少し条件を比較して慎重に決めるでしょう。
それでも、あのとき特別区を選んだから始まった43年間がありました。
そう考えると、
「川崎市を蹴ったのは正解だったのか」
という問いに、今でも簡単に答えることはできません。
ただ一つ言えるのは、あの春の選択が、その後の私の43年間を決めたということです。

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