子どもの保育園送迎で始めたバイク通勤――雨の日の転倒でやめるまで

私が30代半ばになる前の頃、バイクで区役所へ通勤していた時期がありました。

期間にすると、10年ほどだったと思います。

役所への通勤というと、電車を思い浮かべる人が多いでしょう。

区役所の場合は、職場の近くに住んでいる職員も多いので、自転車で通勤する人もいました。

私はバイクでした。

なぜ、わざわざバイクを使っていたのか。

一番大きな理由は、子どもの保育園への送迎でした。

保育園に送ってから電車に乗ると、時間が読みにくかった

当時、子どもはまだ小さく、保育園に通っていました。

朝、子どもを保育園に預け、それから職場へ向かいます。

電車で通勤する場合、当然ですが電車の時間があります。

保育園で子どもを預けて、ちょうどいい電車に乗れれば問題ありません。

ところが、毎朝そううまくいくとは限りません。

少し時間がずれる。

乗ろうと思っていた電車に間に合わない。

次の電車を待つ。

そうすると、今度は職場への到着時間が気になってきます。

実際、電車とのタイミングが合わず、遅刻しそうになることもありました。

そこで、バイクを使ってみることにしました。

バイクなら自分の時間で出発できた

バイクには、電車のような時刻表がありません。

保育園で子どもを預けたら、そのまま職場へ向かえます。

電車の発車時刻を気にする必要がない。

これは、子育てをしながら通勤していた私には大きなメリットでした。

もちろん、バイクなら必ず時間どおりに着くというわけではありません。

私が通っていた道には国道もあり、朝はかなり渋滞していました。

車の間を走ることもありました。

今振り返れば、危険な面もあったと思います。

それでも当時の私にとっては、電車よりも通勤時間を読みやすかったのです。

そうして、私は長い間バイク通勤を続けました。

雨の日も同じでした。

カッパを着て、バイクで職場へ向かいました。

しかし、その雨の日が、私のバイク通勤をやめるきっかけになりました。

雨の日、マンホールの上でブレーキをかけた

その日も雨が降っていました。

私はいつものようにカッパを着て、いつもの道をバイクで走っていました。

すると、少し前を人が横断しました。

「危ない」

そう思って、ブレーキをかけました。

ところが、そのときタイヤが乗っていたのがマンホールの上でした。

雨で濡れています。

タイヤが滑りました。

バイクは横倒しになり、私もそのまま道路を何メートルか滑っていきました。

幸い、大きな事故にはなりませんでした。

ただ、腕などにかなりの擦り傷を負いました。

それでも私は、そのまま職場へ行きました。

「頭を打っていたら怖いぞ」

当時、私は情報処理を担当する部署にいました。

転倒したあとも、

「まあ、大丈夫だろう」

くらいに考えて、そのまま出勤してしまったのです。

ところが、職場の同僚たちの反応は違いました。

「医者に行った方がいい」

「頭を打っていたら怖いぞ。あとから症状が出ることもある」

そう言われました。

私はヘルメットをかぶっていましたし、自分では頭を打ったという感覚もありませんでした。

それでも、「あとから症状が出る」と言われると心配になります。

小さな子どももいました。

結局、病院へ行くことにしました。

医者に聞かれたのは「ヘルメットは割れた?」

病院で医師から聞かれたことを覚えています。

「ヘルメットは割れた?」

「割れていません」

と答えました。

診てもらった結果、頭については大丈夫だろうということになりました。

むしろ治療が必要だったのは、腕などの擦り傷でした。

大事には至らず、私も安心しました。

そして、その傷が治りかけた頃のことです。

今でも覚えている、子どもとの小さな思い出があります。

「パパ、これ、ぶどうだ」

転倒したときにできた腕の擦り傷は、やがてかさぶたになりました。

ある日、子どもをお風呂に入れていました。

すると、子どもが私の腕を見ています。

そして、かさぶたを見て言いました。

「パパ、これ、ぶどうだ」

言われて見てみると、確かにそう見えなくもありません。

大人なら「かさぶた」としか思わないものが、子どもには「ぶどう」に見えたのでしょう。

事故の傷ではあるのですが、今ではそんな子どもの言葉の方をよく覚えています。

それをきっかけに、バイク通勤をやめた

結局、雨の日の転倒をきっかけに、私はバイク通勤をやめました。

それ以降は、普通に電車で通勤するようになりました。

振り返ってみれば、私がバイク通勤をしていたのは、単にバイクが好きだったからではありません。

小さな子どもを保育園へ送り、それから遅れずに職場へ行く。

そのために、自分なりに考えた方法でした。

今なら、もっと別の選択をしたかもしれません。

雨の日のバイクには危険もあります。

それでも当時は、子どもを保育園へ送り、仕事にも間に合わせるために、毎朝バイクに乗っていました。

公務員として43年間働いたことを振り返ると、仕事そのものの思い出だけではありません。

どうやって子どもを送り、どうやって職場へ向かったのか。

そんな毎日の暮らしも、私の43年間の中にあります。

そして今でも、あの頃のことを思い出すと、ときどき子どもの声まで一緒によみがえります。

「パパ、これ、ぶどうだ」

あの雨の日の事故も、長かったバイク通勤も、今では子育てをしていた頃の一つの思い出になっています。

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