今の図書館の運営は、おおむね指定管理制度をとっています。
要するに、企業に丸投げというやつです。
役所の職員もいるにはいますが、数人が内部事務に係わります。
結局、カウンターに出ている人も、書架で本の整理をしている人も、指定管理を請け負っている企業が雇ったアルバイトです。
なぜ指定管理制度を取るかといえば、見かけ上の人件費を減らすためです。
職員にかかっている人件費は、そのまま委託費に置き換わります。
役所が指定管理の企業を決める基準は、契約金額がすべてではありませんが、重要なファクターです。
契約金額が抑えられるので、必然的に企業がアルバイトに支払う賃金は安いものになります。
それが低所得化に繋がっているという悪しき側面は否定することはできません。
40年前の職員配置
40年前は、図書館は役所のふきだまり的な場所でした。
労働組合は「図書館の独立」を叫び、図書館に配置されている人間は、役所の他の部署に人事異動をさせないという無茶苦茶な主張をしていました。
組合は今よりも力が強く、人事当局はその主張を飲まざるを得ない状況にありました。
しかし、人事当局もさるもの。
「いいですよ。その代わり、この人物を引き取ってね」という裏取引をしていました。
表では対立していても、裏では手を握っているという、あるあるな関係です。
愛すべき無茶苦茶な人たち

新人で入った私に親切にしてくれた無茶苦茶な人たちを紹介します。
レコード担当だけの愛すべき人
私が勤務していた図書館には、視聴覚室なる部屋がありました。
そこではレコードとスライドを扱っています。
まだカセットテープが全盛を迎えておらず、レコード全盛の時代でした。
この人はクラシックのレコード専門。
レコードの選定から廃棄まで、この人が担当していました。
他の担当を任せることができないという事情もあったようです。
この人は、人柄は穏やか。ただ気が弱すぎて、住民から苦情を言われると「うわぁ、助けてください」と事務室に助けを求めてくるお人です。
私がまったくの新人だった頃、何も知らない私は、この人とクラシックコンサートに行ったことがあります。
場所は、上野の東京文化会館。
演奏しているのは、今は無き左翼の星「新星日本交響楽団」でした。
コンサートに行ってきた翌日の職場では、新館設立準備担当の「しみちゃん」に「あの人と行ってきたんだって?」と驚かれる始末でした。
レコード担当の彼は、我が愛すべき人です。
飲み屋さんでライフルをぶっ放した愛すべき人
この人に誘われて、何度か飲みに行ったことがあります。
その飲み屋さんは何故かおつまみがキャベツでした。
アルミのボールにたんまりと盛られたキャベツのざく切り。
何を話したのか覚えていませんが、彼と言えばキャベツの思い出しかありません。
ある日、朝、警官が図書館に来ました。
この愛すべき人は図書館には出勤していませんでした。
後で聞くところによれば、飲み屋さんで同僚と飲んでいてケンカになったそうです。
怒りの収まらない彼、いったん家に戻ってライフルを持って飲み屋さんに戻った模様です。
で、一発!! 天井に向けてぶっ放したとのこと。
警官は、その人の人となりを知るべく図書館に来たようです。
少し変わっている人という認識はありましたが、私を可愛がってくれた愛すべき人でありました。
終業時間前から出入り口で時間をつぶす愛すべき人
黙って座っていると図書館長に見える人。
図書館での彼への評価です。
確かに髪はオールバックで、スーツに身を固め、背は高く、威風堂々たる立ち姿は図書館長そのものです。
でも、いったん口を開くと、「あのさぁ~」と甲高い声で語り始めます。
図書館長だと勘違いして彼に近づいた人は、あわてて名刺を下げて後ずさりしてしまいます。
その彼は、決まって終業時間の10分前には帰り支度をして、出入り口に待機して時間を待ちます。
今ならきっと「住民の声」として役所の広聴部門に苦情として上がっているはずです。
そんなことが許された大らかな時代です。
そんな大らかな時代が生んだヒーロー。「早く帰りたいマン」。
彼も愛すべき人でした。
愛すべき時代
現在は、効率化を常に求められます。
当時、40年前は効率的でなかったと思います。
私は労働組合は大嫌いですが、ある意味、人が人として面白く生きられた時代かもしれません。
愛すべき人たちは仕事には積極的ではありませんでしたが、組合活動には熱心に取り組んでいました。
今思い起こしてみると、愛すべき人たちが普通に存在し、普通に暮らしていた時代です。
今の面白みのない生活よりも面白い時代でした。
「戻ってみたいか」と問われれば、私の答えは「ノー」ですが。
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