昭和時代の公務員の年末年始

年末

私が大学を卒業して公務員として採用されたのは、昭和57年(1982年)でした。

図書館本館の中の「新館設立準備担当」として配属されました。

当時は、年末最終日の午後は、館内整理という名目で休館していましたが、実は午後は館内で打ち上げをしていました。

イカの燻製やサラミなどの乾き物から、お寿司の出前まで取っていました。

私は新人だったので、お昼前から串焼きから乾き物の買い出しを命じられ、真昼間から両手に買い物袋を持って職場まで戻ったものです。

周りの住民からも、それが許される時代だったのだと思います。

今は公務員の清貧さが求められ、通報されると思います。

年始

今では、ほぼ見なくなりましたが、着物を着て出勤する女性も見かけました。

男性も着物をイキに着流した、ちょいとやくざ風のご仁もおりました。

業務はほぼ開店休業状態です。

定時に業務が終わると、祝杯が始まります。

管理職が乾杯の音頭をとるのですから、そういう時代背景だったのでしょう。

この時も食べ物の買い出しは、新人の私。

やるせない気持ちと共に「こういう世界なんだ」と従順に従っていました。

問題は、この乾杯。

来客が終業時間を過ぎても相談していることがありました。

話が続いていても、管理職がかまわず「乾杯~」をするんです。

食べ物の買い出しをさせられた挙句、来客の尻拭いまでさせられる理不尽に憤ったものでした。

現在の年末年始

今は綱紀粛正もあり、役所内での飲酒・飲食は禁止されています。

当たり前といえば当たり前ですが、昭和の年末年始に一種のノスタルジアを感じています。

今の区役所は、昔の町役場です。

そんなのんびりした、のどかな時代を懐かしく思い出しています。

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