
私が公務員になったのは、昭和57年4月です。
今(2025.4)から47年前のことです。
当時も今と同じく、短答式と論文試験があり、面接がありました。
東京23区(特別区)では、全体の合格者が発表され、そこから各区へ割り当てられます。
私は全体の中で23位以内に入っていたので、「順番からいって、どう考えても、自分の希望する区へ配属されるだろう」と予想していました。
でも、結果は想定していない区でした。
かなり残念な気分で、入区式に臨んだのを覚えています。
お金、いくら包んだの?
私は裕福な家庭に育っていません。
大学へ行けるかどうかも分からないまま、故郷の進学高校へと進みました。
大学も奨学金を給付・貸与されながら、なんとか卒業して、公務員へとなりました。
ほとんどの縁者、親戚は喜んでくれました。
当時はまだ、議員に袖の下(金銭)を渡して、公務員合格をお願いすることがあったのかもしれません。
東京に住む親せきから言われたことがありました。
「いくら包んだの? 貧乏だったのに大変だったわね」
議員に金銭を渡すなど考えたことはありませんでした。
少なくとも合格には議員は関係ない
私が在職中、「区長の愛人が電話交換手で採用されている」というウワサ話を聞いたことがあります。
それが本当だとしても、私が入区した頃にはそんなことはありませんでした。
事実、私は特別区の他に、川崎市上級、国家中級、東京都中級、裁判所中級に受かっています。
もしかしたら、合格後の23区内への配属時には、23区の人事担当への働きかけが功を奏することもあったかもしれません。
でも、合格の場面では、議員への袖の下は意味がないと断言できます。
もし、公務員を希望している皆さんが心配してるとしたら、全力で勉強してください。
倍率はそこそこありますが、記念受験が多いので、レベルは高くありません。
これからも昔話をまじえながら、情報発信をしていきたいと思っています。
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